第七章 収監
最高裁の結果を知らせる手紙が届いたのは、秋が深まり始めた頃だった。
郵便受けに入っていた封筒は、特別なものには見えなかった。
役所から届く通知や、日常の請求書と同じような質感の封筒だった。
だが、差出人の名前を見た瞬間、胸の奥に小さな緊張が走った。
部屋に入り、鞄を置き、上着を脱ぐことも忘れたまま封を切った。
手紙には、収監が決まったことが書かれていた。
文章は驚くほど落ち着いていた。
感情を表す言葉はほとんどなく、
「こういう結果になった」という事実だけが、整った文章で並んでいた。
慌てた様子も、取り乱した様子もない。
むしろ、すでに予定されていた出来事を報告するかのような書き方だった。
その手紙の中で、彼は自分の本名を書いていた。
それまで紀子が聞いていた名前と読み方は同じだったが、
漢字はまったく違っていた。
そして、こう続いていた。
「この名前で検索してみてください」
その一文を読んだとき、紀子は少しだけ戸惑った。
なぜ今、本名を伝えるのか。
そして、なぜ検索を勧めるのか。
パソコンを開き、言われた通りに名前を入力した。
検索結果の一番上に表示された記事の見出しを見た瞬間、
指が止まった。
過去の事件の記事だった。
読み進めても、現実感がすぐには伴わなかった。
画面の中に書かれている人物と、
自分がこれまで会ってきた人物が、
同じ人間として結びつかなかったからだ。
驚きはあった。
だが、その時点では
「騙された」という感情はまだなかった。
彼はそれまでのやり取りの中で、
裁判が続いていること、
長い時間争ってきたこと、
状況的に逃げることができなかったことを話していた。
だから紀子は、
「過去に問題があった人」
という程度の理解で、その出来事を受け止めていた。
むしろ、これから収監されるという現実の方が、
現実味のある問題として迫ってきていた。
収監の日が近づくにつれ、彼の行動は慌ただしくなった。
書類を整理し、
電話をかけ、
誰かに何かを頼み、
予定を詰め込むように動いていた。
だが、その忙しさの理由を、
紀子は深く考えなかった。
収監を控えている人間が準備をするのは当然のことだと思ったからだ。
収監の前日、彼はマンションを訪れた。
昼の時間だった。
二人は近くの店で簡単な食事を取った。
会話は、特別なものではなかった。
将来の話も、長い別れの言葉もなかった。
むしろ、普段よりも普通の会話をしていたようにさえ思えた。
食事を終えて部屋に戻ると、
彼は鞄の中から小さな袋を取り出した。
「これは重要なものだから」
そう言って、USBを二つ差し出した。
中身について詳しい説明はなかった。
ただ、「重要だから」という言葉だけが残った。
続いて、通帳と印鑑を取り出した。
個人事業の通帳と、法人の通帳。
それぞれの印鑑と、実印。
「しばらく使うことになるから、持っていてほしい」
頼むというより、
すでに決まっていることを伝えるような口調だった。
紀子は、その意味を深く考えなかった。
収監される人が身の回りの物を預けるのは自然なことだと思ったからだ。
「あと、三百万円は知り合いから振り込まれるように頼んである」
彼はそうも言った。
その言葉を聞いたときも、
紀子は疑うことをしなかった。
必要になるから準備してくれているのだろう、
その程度に受け止めていた。
夕方になり、二人は地下鉄の駅へ向かった。
改札の前で、短く言葉を交わした。
特別な別れの場面という感じはなかった。
次に会う予定を確認するわけでもなく、
ただ「じゃあ」と言って別れた。
紀子には、その後、子どもとの約束があった。
急いで待ち合わせ場所へ向かわなければならなかった。
改札を通り、振り返ったとき、
彼はすでに人の流れの中に消えていた。
それが、収監前に見た最後の姿だった。
数日後、短いメールが届いた。
「今から行ってきます」
それだけの文章だった。
その一文を読んだときも、
紀子の中に大きな感情の波は起きなかった。
現実をまだ完全には理解していなかったからかもしれない。
だが、その後に続く出来事が、
自分自身の生活を大きく変えていくことになるとは、
その時はまだ、想像もしていなかった。
収監とは、
一人の人間が塀の中に入るという出来事ではなく、
外に残された人間の生活の形も、
静かに、しかし確実に変えていく出来事だった。
